若尾文子映画祭⑤@角川シネマ有楽町 その夜は忘れない 「広島の石よ」と言って渡された石が握ると粉々に砕ける

その夜は忘れない 1962.9 28
戦後17年、原爆の傷跡を取材にやってきた記者加宮(田宮二郎)とバーのママ秋子(若尾文子)との出会い。原爆の話になるとそっけなくなる秋子の秘密とは…。

原爆投下後(1945.8.6)に太田川に向かった人々の多くはそこで命を落とした。これは東京大空襲(1945.3.10)も同じようだったと。川底に沈む石を拾って「広島の石よ」と言いながら加宮に渡す秋子。握りしめると粉々に砕けたそれは人骨なのか熱線を浴びた石なのか。

被爆者と知りながらも「ぼくの愛情を踏み台にして生きられるだけ生きてくれ」と哀願するする田宮二郎も切ない。

これまでの川口浩や川崎敬三のように甘さがでる俳優よりも、硬質な田宮二郎との絡みが一層悲哀感を増すいいキャスティングだと思う。港で煙草に火を付けようとした時に日傘で覆いその後のうっすらとした微笑み、呉方面の友人宅での束の間のふれあい、広島駅での切ない別れ(特に若尾文子の表情に迫るものがある)、友人宅で秋子の死を知った加宮が友人から伝えられた話、広島の街を鈍く光るように映した構図。若尾文子の美しさをあの声でとことん追い詰めた吉村公三郎監督の隠れた傑作。翌年の「越前竹人形」も忘れがたい名作だ。

ロケ地の新広島ホテルは1955.4月開業、都市公園法に違反している事を指摘され1973.5月に閉館。そのご改築され現在は広島国際会議場になっている。アラン・レネ監督の映画『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』(1959)のロケ地としても有名。

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