34歳で亡くなったローウェルの命日に届いた『リトル・フィート物語』を一気に読み、リトル・フィートの存在の大きさを改めて知る

やっぱり大好きな1st〜3rd
リトル・フィートの本『リトル・フィート物語』が出ることを知ってからは、1stから6thまで聴きながら2000年にリリースされた『hotcakes & outtakes』のライナーを読んでいた。このライナーはバド・スコッパが書いていて38頁の力作。CD4にはファクトリーの貴重な音源、デモ、ドンカマとギターだけで歌われる「Easy To Fall」など興味深い内容で発売当初はこのCD4をよく聴いていた。

リトル・フィートを知ったは、ニュー・ミュージック・マガジンの輸入盤紹介コーナーに1stが紹介されていたことだろうか、ヴァン・ダイク・パークス『Discover America』に参加していたことを知ったからだろうか、はっぴいえんどの「さよならアメリカ さよならニッポン」を仙台のロック喫茶ピーターパンで繰り返し聴いていたことだったろうか、今ではどれが先でどれが後だったかどうか思い出せない。

ちょうど、ボニー・レイットとボビー・チャールズをきっかけとしてベアズヴィル・サウンドにぞっこんだった頃の話なことは確かだ。

1stの(スモックで)ややくすんだサウンドが、『Sailin’ Shoes』ではラウドにドライブするサウンドに変わったことに驚いたことをいまでも思い出す。そして、極めつけの『Dixie Chicken』には度肝を抜かれてしまった。曲もいいし、歌も演奏もアレンジにも抜かりがない。特にタイトル曲のギターソロの直後のベースのフレーズは鳥肌モノ。ローウェルのスライド(Two Trainのイントロからのけぞる)も大好きだけど、少し歪んだトーンのリズムもまた大好き。もう、一時期『Sailin’ Shoes』『Dixie Chicken』ばかり聴いていた。

それ以降『Feat Don’t Fall』Me Now』のファンキーさに当時は馴染めなく、徐々にローウェルのウエイトが下がるにつれても、アルバムは買い続けていた。もちろん初来日は行ったけど徐々に疎遠になってしまった。これは、新しく出会ったサルサの存在があまりにも大きく、1975年以降はサルサ以外をほとんど聴かなくなってしまったためもあるだろう。

ローウェルのリトル・フィート以外のスタジオワークスが好きだった。ヴァレリー・カーターやリッキー・リー・ジョーンズの発掘、ボニー・レイットやJTとの共演、セバスチャンとの交流。バンド内のエゴや軋轢から離れてののびのびしたプレーが好きだった。当時はその良さが分からなかったソロ『Thanks I’ll Eat』It Here』の素晴らしさを噛み締めている。

1979.6.29
いままで知らなかったあまりにも若い(34歳)ローエルの死。ちょっと読むのも辛くなるしここで色々書くのも躊躇ってしまう。友人のFaceBookで亡くなる前日のライブが紹介されていたけど、まさか亡くなるなんて…という内容に驚いてしまう。

根っからの南カルフォルニア人
父親が毛皮を扱う仕事でハリウッドと深い関係、住んでいた場所がマルホランドでローレル・キャニオンのそば。ブライアンら、特にデニスにも南カルフォルニア人特有の気質があったと思うけど、ローエルにも繊細で同じものが流れていたんだなぁと、読み終えて感じた。

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急に読みたくなって連休の間に再読しながら、1stから聴き直し。ちょうど日本語訳が出てから音源の状況も代わり、『Sailin’ Shoes』『Dixie Chicken』のデラックスエディションの発表(『Feats Don’t Fail Me Now』は今年6月の予定)はかなり充実した内容だった。

そうそう、忘れていた日本企画のローエル・ジョージ・トリビュートアルバムを久しぶりで聴いてみたら、あまりにも素晴らしいので、今日はこればかり聴いている。「Rockt In My Pocket」のデヴィッド・リンドレーのスライドには心打たれるし、ランディ・ニューマンとヴァレリー・カーターによる「Sailin’ Shoes」も毒のある仕上がり。ローウェルの遺児イナラによる「Trouble」は、ヴァン・ダイク・パークスのピアノとライ・クーダーのアクースティック・ギター(マンドリンも)がとてもミスティックで、イナラの声も素晴らしい。
(2024.5.7 17:14 追記)

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