ドライブ・マイ・カー 失われた魂の救済と自己回復を巡るロードムービーと生の息吹 感情を抜いた音=サウンドがかえって独特の浮遊感を生んでいた

感情を抜いた亡くなった妻の声
風景に映えるために原作の黄色のコンバーチブルから赤のサンルーフに変更されたサーブ900ターボ。車内からカセットで流れる脚本家の妻音(霧島れいか)のセリフ。自身のセリフが抜かれているため、車内でセリフを繰り返す今福(西島秀俊)。セリフは感情を抜いた棒読みに近いもので、その音=サウンドがかえって独特の浮遊感を生んでいた。

劇中に挿入される多言語舞台劇が生むエモーションが素晴らしく、クライマックスでのイ・ユナ(パク・ユリム)の韓国手話の静寂と力強さに息を止めてしまった。広島市内のどこかの公園でのリハーサルは、イ・ユナ(パク・ユリム)とジャニス・チャン(ソニア・ユアン)との柔和な佇まいから生み出される世界観も見事だった。

東京から広島、そして北海道、最後は韓国
広島ロケの映画で忘れられないのが若尾文子、田宮二郎主演の「その夜は忘れられない」(1962)、当時はホテルも合築されていたが1989年に建替え。家福が演出を手掛ける演劇祭の会場が今の広島国際会議場。みさきのお気に入りの場所として今福と訪れるのが環境局施設部中工場。瀬戸内の海が美しい呉市御手洗の宿(もしかしてここではないか?)。

必要以上話をしない雇われドライバーのみさき(三浦透子)の澄んだ眼差し、スニーカーに男物のツイードジャケット。家福が後部座席から助手席へ移動する心の流れ〜サンババイザーを開けての喫煙。今福と同じ失われた魂の救済と自己回復のための広島からみさきの実家があった北海道赤平市までの疾走。。日本海側を経由した風景がとにかく美しかった。クライマックスから一転、みさきが同じサーブ(譲り受けたのかどうかは不明)を乗っている韓国、何故か顔の傷は目立たないようになっていた。

『ハッピーアワー』(2015)、『寝ても覚めても』(2018)で私の大好きな監督になった濱口竜介監督。村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』(2014)の「ドライブ・マイ・カー」を骨格に「シェラザード」(音の語り口や空き巣の話)、「木野」(監督曰く家福が向かう姿として)が投影されている。(刊行以来読んでなかった短編集だったが、映画の前、朝に「ドライブ・マイ・カー」だけを読んで、映画のあとに「シェラザード」「木野」を読んで納得)

3時間は長いかと思いながら、冒頭から引き込まれてしまったのは、韓国手話も含めて時には無音、感情を抜いたセリフ、クルマの音、石橋英子の起伏の少ない音楽に導かれる心地よさのせいだと思う。

今年になって音楽関連の映画を多く観ているが、今の処この映画が一番好きだ。西島さんはそんなにファンではなかったが、『奥様は取り扱い注意』(TV&劇場)、『きのう何食べた?』『おかえりモネ』と結構見る機会が増えて大ファンになってしまった。鼻の形がちょっと志ん朝さんに似ているのも好きなポイントだろうか。

TOHOシネマズ日比谷(東京宝塚ビル地下)
今回はTOHOシネマズ日比谷(東京宝塚ビル地下)スクリーン12。TOHOシネマズ日比谷最大の座席数で、画面も広く音もいい。座席の傾斜もちょうどよくK列はほぼ真正面。両脇のブルーの照明が上映直前に前方から後方に向かって徐々に消えていくのにはちょっと驚いて振り返ってしまった。映画館に行くのは楽しいが、上映前の告知(au割引、NO MORE映画泥棒)などは何度も見ているとうんざりしてしまう。また、ミッドタウン日比谷の使い勝手の悪さもマイナスポイント。それでも、映画の後の西巣鴨での遅いランチ…という楽しみを開発したので、良しとしたい。

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