Bobbie Gentry / Ode to Billie Joe 1967.8

その歌声が私に届くまで56年
年明けから妙に気になって朝昼晩と聴いているのがボビー・ジェントリー。1942.7.27、ミシシッピ州チカソー郡ウッドランドの農場で生まれる。両親が離婚後、父方の祖父母の小規模農園で幼少期を過ごし、電気や配管のない田舎の人里離れた場所で育つ。祖母は私が音楽が好きであることに気づき、乳牛一頭と近所の家のピアノを交換したという逸話もある。

父親と継母と一緒にミシシッピ州グリーンウッドに住んでおり、そこの高校に通いながらギターとバンジョーの演奏を学ぶが、生活に不満を抱いた彼女は、母親のルビー・マイヤーズと暮らすため、13歳でカリフォルニア州パームスプリングスに移住。高校卒業後、L.A.へ移りUCLA〜ロサンゼルス音楽院へ。自ら作詞作曲した曲を売り込みに行ったところ、歌声が認められキャピトルと契約。1stシングルのB面だった「Ode to Billie Joe」が大ヒット。

抑制の効いたギターストロークにかすれながらも深みのある声、ビリー・ジョーの自殺とそれに無関心な会話が淡々と歌われる。時はフラワームーブメント全盛でチャートでは「All You Need Is Love」が1位。それに代わって1位になったのがこの曲で8/26〜9/16の4週をキープ。

大慌てで作られたかのようなアルバムはトータルな出来上がり(ボビー・ジェントリーのコンセプトが反映されていると思う)。結果複数のグラミー賞を受賞。

デルタ地帯で育まれた資質が見事に開花した素晴らしいアルバム。ボビー・ジェントリーのデモをベースにしたシンプルなアレンジ。ギターはおそらくマーチンLX1。裏ジャケットの屈託のない笑顔も素晴らしい。もう、このサウンドはタルサ〜LAスワンプの先駆けでもあり、リオンらとは接点がなかったというのも何かすごいものがあったのではないかと。また、ディランがバイク事故を起こしウッドストックにこもり始めたのが67.8月。ザ・バンドが同じキャピトル同士で何かの接点があったのだろうかと想像してみたりもしている。

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