中村とうよう 音楽評論家の時代(2017.7 田中勝則著)とうようさんの呪縛から解けた今読み返して色々と気が付かされた
マガジンという存在ロックに目覚めた高校生だった私には唯一の情報源だった「ニュー・ミュージック・マガジン」。「ミュージック・ライフ」に物足りなさを覚えたころ確か4号あたりから読み始めた。創刊号以降バックナンバーを取り寄せ、...
マガジンという存在ロックに目覚めた高校生だった私には唯一の情報源だった「ニュー・ミュージック・マガジン」。「ミュージック・ライフ」に物足りなさを覚えたころ確か4号あたりから読み始めた。創刊号以降バックナンバーを取り寄せ、...
生のサルサを求めてクロコダイルデル・ソルのソリッドなリズム、思わず腰がうずくロス・ボラーチョス。生で見るサルサはクロコダイルが初めて。リズムのコンビネーションはこうしているんだなぁ…とか食い入るように見ていた...
現在との地続きLive at the Red Garterから1年、ウッドストックの2ヶ月前、Live at the Cheetahの2年前、1969.6.29〜8.24に「Harlem Cultural Festiva...
見事なオープニング主人公のウスナビ(名前の由来がU.S. Navyだったことは後で分かる)浜辺のカフェで子どもたちに話しかけている時に木の椅子を叩くリズムがクラーベになり、一転してワシントンハイツに移動して軽快なラップと...
食い入るようにリストを読み給与のほとんどを送金SWEET COCOとのコンタクトは、おそらく82年春以降。現存している82.3.3消印のハガキは、ファーストコンタクトの事が書いてあり、「…まぁ、はっきり言って...
どんどん南下していったヴァン・ダイク・パークス『Discover America』(1972)を聴いてから音楽嗜好がどんどん南に向かっていった。76年にジャマイカの海岸で録音された波の音を集めたアルバムは、トロピカルな雰...
これほど強烈だったレコードショップはない御茶ノ水聖橋を神田明神に向かう下り坂途中にある小さなビル。関係者以外使用禁止とあるトイレで緊張のため内緒で用事を済ませ、階段を登り恐る恐る扉を開ける。聞けてくるのは短波ラジオの競馬...
ラテンピープル初のレーベルドミニカ出身、アコーディオンとタンボラーを捨ててN.Y.らしいラテンを生み出したジョニー・パチェーコが選んだのはシンプルなソノーラ形式。その後の活躍はサルサファンなら誰でも知っているとおりで、フ...
親密な空気感が大好きだった駅前の2Fにあったジョージアには、なにせアパートから大学への通学路だったものだから、行きか帰りには一日おきに通っていたような。芽瑠璃堂の立ち上げ〜店員だった後藤美孝さん(後にPASSレーベルを創...
キラキラとした情報自宅から八丁堀までの定期を(もちろん)自腹で六本木まで延長して通い詰めたのが六本木WAVE。1Fは最新のアルバム、2Fはマニア向けの在庫だったと思う。CD時代になった頃には、結構サルサのCDも充実してい...