98年にはまた、彼の人生に大きな影響を与えた母を失っている
そうした、彼の個人的な出来事に加えて、急速に規格化していく世界のなかでまるで居場所を失ったかのような「サルサ」というジャンルの動きと呼応してもいるのだろうが、昨年、暮れも押し詰まってリリースされた彼らの新しいアルバムでは、彼らの初期のアルバムからも引用しながら、抽象的な「世界」から手触りのたしかな「私の生きる場所」に戻ろうとしているかのように見える。
「このアルバムは思い出の集まりだ」。カリのスタジオに偶然捕まえたニーチェのディレクターは電話の向こうで話していた。“孤高の芸術家”をイメージするこちらの勝手な思い込みを、まるでビジネスマンのような口調で軽く裏切りながら彼は語っていた。「チョコーで生まれた 黒人の末裔であるという我々のアイデンティティを再確認している。だから、チョコーのフォルクローレを使って、リズムも以前に比べてずっとダンサブルになっている」。(タイトル『A Golpe de Folklore』をそのまま訳せば『フォルクローレを使って』であるが、”Golpe”にはパーカッションの“ビート”の意を含ませてある)。
チョコーは、コロンビアの太平洋岸に広がる一帯にあたり、アトラト川がパナマの方角に向かいカリブ海にそそぎ込んでいる。湿地帯のジャングルがつづき、そこをカヌーを使って移動するイメージはこのアルバ ムに何度も登場する。バレーラはそこの首都キブドーに1949年12月9日に生まれた。父は商店主で、母は作家で詩人でもあった。また、祖父はコロンビアで企業主となった最初の黒人のひとりだったという。彼はそこのローマというバリオで、すでに8歳の頃にグループを結成して演奏しているが、そうした興行の才をその祖父から受け継いだと言わ れている。
たしかにこのアルバムには、バレーラが言うようにこうした彼が生まれた場所の風景、そこで蠢くように生きている黒人たちの風物詩が織り込まれている。しかし、そこにはサルサが生まれて「世界」にむかって拡大をはじめ、故郷を離れだしてかえって飢えたようにそれを求める強烈なメランコリーはない。したがって異国にいる過剰な思い込みからそこを理想化して描くこともない。ここには、故郷にいるあたりまえの安心感とそこをより精密に観察する視点がある。
サルサ・ロマンティカからの甘さが完全に払拭されていて、それだけに、そこに描かれている事象もよりリアリティを持って感じられる。それはやはり、ここ数年パナマに帰って音楽活動をしているルベン・ブラデスが、かつて「アメリカ」に連帯を呼びかけていたのに対して、パナマというミクロな文化圏へと世界の地図をを切り替えて、そこから何かを作り直そうとしているのと共通しているように思われる。(ブラデスとバレーラの年齢は一つ違 いで、ほぼ同年代である)。
リッキー・マーティンからブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブへと「ラテン」が「世界」へ拡大する動きは止むことはないが、そのほとんど気づかれない間にサルサというもうひとつの「ラテン」はまったく別の動きを見せていることに注意しておきたい。グルーポ・ニーチェという影響力のあるオーケストラがそこに加わったことでこの動きは決定的になったようにわたしには見える。
●A Golpe de Folklore 1999
1. A Golpe de Folklore
2. Yo No Tomo Con Hombre
3. Han Cogido la Cosa
4. Buscaré la Forma
5. La Pandereta
6. Un Beso
7. Atrateño
8. Mi Mamá Me Ha Dicho
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旧友Inoue Takeshiさんの雑誌Latinaへの投稿を了解をいただきUPしていました。2000年以降は時間のある時にまとめてみたいと思います。
(終わり)
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