キューバとのふれあい

N.Y. 〜プエルト・リコとサルサを紹介していき、残りはキューバ。実は私、N.Y.〜プエルト・リコと比べてさほど詳しくない。サルサで知った曲を遡ってオリジナルを聴いていた程度。特にプエルト・リコのサルサー辺倒だった時代にキューバから著名なバンドが来ても見向きもしなかったので、お叱りを受けたりもした。

そのキューバが自分にとって身近になったのは、Nifty のラテン部屋から。キューバ音楽に造詣が深い方々の書き込みを読みながら、音楽の背景も知ることが出来ていた。そして、決定的だったのが女性バンドの来日。新宿ココロコに3ヶ月、年を替えてさらに3ヶ月滞在。毎晩のライブに足蹴もなく通ってしまい、これまたお叱りをうけてしまうありさま。当時(92〜93 年頃)は渋谷では男性バンドも同時期に来日していたし、キューバ帰りの女性たちがダンススクールを開催していたりと、ちょっとしたブーム。これは、イラケレを来日させた村上龍の影響もあったのかもしれない。(イラケレはどうしても好きになれなかったけど)

ボリンケン… キューバを知りたければこれを聴いてネ

と、その女性バンドの仲良くなった一人に手渡されたのが、パブロ・ミラネスのフィーリン集のカセット。こういうラテンもあるんだと驚きながらも、繰り返し聴いているうちにすっかりハマってしまった。ダンスホールで繰り広げられる音楽のそばに、これほどまでにクールでありながら情緒的な世界があるなんて知らなかった。

サルサを知って明るい人生を歩み始めた彼のためのセレクトするなかで、こうしてキューバ音楽を再認識できたことで得ることも大きかった。そして、補足のためには中村とうよう氏のオーディオブックのキューバ編、プエルト・リコ編も添えておきたい。

キューバのことを考えると、ワケあって喧嘩別れしてしまったきりだった友人のことを想う。いつかは仲直りをするつもりが、それが果たせず亡くなった報せを知ったときには激しく動揺してしまった。新宿の広場でハバナクラブをあおりながら夜な夜な叶わぬ想いについて語り合ったことを今でも思いだし切なくなる。

———————
Facebook経由でパブロ・ミラネスの訃報を知る。(2022.11.21に死去)キューバ関連でも大事な人の死を知ると、とても心が苦しくなる。ご冥福をお祈りいたします。
(2022.11.22 18:17 追記)



7件のコメント

喧嘩別れた友人とは、某M氐ですか?彼が亡くなてからは、再婚した某歌手は養子の息子を連れてハバナに帰りました。ボントロ友人がコンタクトしているみたいですよ。

彼女…キューバに行った時もとても親切に、とても色々と心配してくれました。いつかどこかで再会したいなぁ…と思っています。

そうなんです…彼といいパブロ・ミラネスといい大事な人たちの訃報を聞くのは辛いです…

3年ほど前から年賀状が来なくなってたのでどうしたんだろうと思っていたのですが…言葉もありません。

ホント、残念に思います。

銀…もしかして夜桜の旦那ですか?
もしそうなら、随分ご無沙汰しています。
相棒のナベルトも元気ですゾ‼️

左様です。
昔日は大層おせわになりました。
そして今宵も百年の孤独を小指でかき混ぜ、呷っています。
BGMはもちろん、マルヴィン・サンティアーゴ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です