最もプエルトリコらしい声の歌手
雑誌の記事によりますと、エル・グラン・コンボのラファエル・イティエールをして、最もプエルトリコらしい声の歌手と言わしめたのが、チェオ・フェリシアーノ。本名はホセ・フェリシアーノですが、既に有名な歌手がいたためか愛称のチェオで呼ばれて来ています。勿論、生まれはプエルトリコのポンセ。パーカッション奏者を目指してNYへ渡ったのが17歳の時。マチートやプエンテのバンドボーイをしているうちに、55年にマリアナクシというバンドのメンバーとなる。パーカッションの腕よりも歌のうまさを認められて、ジョー・キューバ・セクステットのリード・ボーカルとなったのが、63年の話しです。66年には、パルミエリ兄弟、プエンテ、レイ・バレット、チョコラーテ、パチェーコ等々そうそうたるメンバーが一同に介した一大デルカルガ、ライブ・アト・ザ・ヴィレッジゲイトに歌手のサントス・コロン、チビリコ・ダビラ、モンギートと共に参加。そして、71年にはあの伝説のライブ・アト・ザ・チータで「アナカオーナ」を熱唱し、名実共にサルサ界のトップシンガーとなりました。チェオといえば「アナカオーナ」、「アナカオーナ」といえばチェオと呼ばれる由縁です。
71~72年頃からソロ活動をしていてアルバムの数も多いのですが、大きく分けてVAYA時代、COCHE時代、そして今のRMM時代に分けられるのではないかと思います。
CHEO / CHEO FELICIANO (VAYA 5) 1972
WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIEND / CHEO FELICIANO (VAYA 21) 1973
ジョー・キューバのサウンドを小意気にしたアルバムです。ややかすれた太い声がヴィブラフォンと良く合っています。『CHEO』はVAYAレーベルでの1枚目で、1曲のの”ANACAONA”や”SI POR MI LLUEVE”等々好きな曲ばかりです。『WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIEND』は、有名なソングライターC.CU RE T ALONSOの曲を集めたアルバムです。この2枚共バックは当時のファニアのオールスターズが参加しています。
SINGER / CHEO FELICIANO (VAYA 48) 1976
MI TIERRA Y YO / CHEO FELICIANO (VAYA 69) 1977
ESTAMPAS / CHEO FELICIANO (VAYA 86) 1979
SENTIMIENTO,TU / CHEO FELICIANO (VAYA 95) 1980
PROFUNDO / CHEO FELICIANO (VAYA 102) 1982
「ORQUESTA SENTIMIENTO 25」という名のバンドを率いての記念ライブを収めた、アルバムは「FAMILIA!」を連発するチェオと会場との温かいやりとりや、裏ジャケの子供時代の写真、プエンテ、ジョー・キューバ、セリア、ファニア・オール・スターズとの古い写真にため息です。そして音楽監督のルイス・ガルシアが正に入魂のアレンジです。ヒリヒリしながらも甘く切ない流れに身を委せてしまいそうです。『COMO TU LO PEDISTE』はジョー・キューバ時代の同僚ジミー・サバテールを加えて、当時のサウンドをこれまたルイス・ガルシアが再現しているアルバムです。切なくも聴き進む内にじわじわと胸が熱くなるのが止まりません。
MOTIVOS / CHEO FELICIANO (SONY 81051) 1993
COMBINACION PERFEVTA (SONY 81126) 1993
ルイス・ペリーコ・オルティスは最近裏方さんとしても注目ですが、(ロス・ベシーノスの新譜でもいい仕事をしています)VAYA時代のお付き合いもあってか、彼が音楽監督をしたこの新譜は、ルイス・ガルシアのそれとはまた違った、湿っていながらメローなプエルトリコのアノ感じがきめ細やかに捉えられてたまらない気持ちで一杯です。そして、ピート・コンテ・ロドリゲスとの火花のデュオを収めた『COMBINACION PERFEVTA』はチェオがソネーロとしても一流だという事を再認識させてくれます。
VAYA時代の後半はパポ・ルッカ全面参加のゴージャスなアルバムです。特に、VAYAでの10枚目の『SENTIMIENTO,TU』は大傑作と思います。プエルトリカン・サボールを一身に受けたかの様な、歌いっぷりに深い感銘すら受けます。地元でも大ヒットしました。2年振りの『PROFUNDO』はこれ迄とうってかわりルイス・ガルシアのプロダクションのアルバムです。噂の”SENTIMIENTO”はB面の2曲目です。
25 ANOS DE SENTIMIENTO / CHEO FELICIANO (COCHE 350) 1984
COMO TU LO PEDISTE / CHEO FELICIANO (COCHE 364) 1988
93/11/2 NiftyのフォーラムへUPした文章です。
MofongoさんのBLOGで知った「米国ラテン音楽ディスク・ガイド50’s→80’s」が届きました。Mofongoさんもプエルトリコへの愛情一杯の文章を添えています。先月、タケシさんと会って色々サルサの話をしましたが、それを思い出させるような充実した内容です。75年にチータのライブ、ウィリー・コロン、エクトル・ラボー、エディー・パルミエリの4枚しか持っていなくて半年以上繰り返し繰り返し聴いていた事を強烈に想い出します。河村さんと藤田さんが主催するレコードコンサートにも何度か参加し、深く深くのめり込んでいきました。大学ノートにびっしり手書きの資料をため込んでいた河村さんの姿をいまでも覚えています。Mofongoさんのサイトにも河村さんの近況が出ていましたが、もっともっと表舞台に出てきて欲しいと願っているのは私だけではないはず。
私の好きな古典落語って、江戸や明治初期のもう失われて幻の町。ここに紹介されているサルサも、もう失われた幻の世界なのでしょうか?遠く日本にいて感じることが出来なくなってきたのか?60~80年代前半のプエルトリコ・サルサのなんと艶やかなこと。じっくり読みたいのでまだぺらぺらと拾い読みしていますが、チェオ・フェリシアーノ、ロベルト・ロエーナ、ロベルト・アングレロ、ラテン・テンポ、ホルヘ・ミジェーを聴いてしまいました。まだ、CD化されてない音源もあるので、こんどYamaさんにLP→CDのやり方も教わりたいと思います。
吉祥寺のとあるアパートで夕方『ESYAMPAS』を繰り返し聴いていた気分って、はて、どんな気分だったのだろうか…。
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2014.4.18 サンファンで交通事故のため亡くなる。
耐え切れないほどの哀しみ。(2014.4.18追記)
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