第5期ニーチェ
チャーリー・カルドナがリードボーカルの時代は94年までつづく。その後彼に代わって、ラ・スプレマ・コルテ・オルケスタ出身のウィリー・ガルシアがボーカルに加わる。この95年から現在までを第5期ニーチェと名づけることができる。
オーケストレーションの中心は、前年から参加しているトランペットのホセ・アギーレである。おそらく、この 時期はハイロ・バレーラにとってもグルーポ・ニーチェにとっても、コロンビアという国にとっても最も困難な時期であったと言えるだろう。
発端は、95年、バレーラが音楽以外から不正に利益を得ていると訴えられ、逮捕、拘束されることから始まる(拘留は3年間にも及んだ)。そしてそれは、麻薬絡みの善からぬ噂となって世界中を駆け巡る。コロンビアは、ラテンアメリカ全体が関税のない統一された市場へという方向に向かって行くのに逆行するように、再びゲリラの活動が活発になり、それが、相も変わらぬ政府とマフィアの抗争と複雑に絡み合って国家は 年々疲弊していく。ニーチェの人気が衰えることはなかったが、「コロンビア・サルサの時代」は93年頃を境にして急激に収束する。トロピカル・ラテンの主流はキューバの正統的な音に回帰し、コロンビアのような「亜流」はまるで排除されるかのようにシーンの脇に後退していく。
チャーリー・カルドナの限りなく甘く、ロマンティックな歌声に代わって、ウィリー・ガルシアはそうした背景と無意識に同調するように、バレーラの歌詞のどこか思い詰めた内省的なトーンを表現するようになる。例えば、97年の『A Prueba de Fuego』では、そのタイトルトラックでバレーラ自身の拘置の体験を弁護するように、「私は“問題”なのではなく“解決”の一部なのだ」とウィリーに歌わせている。(タイトルは『炎も通さない』という意であるが、『炎のような証明』の意味を含ませてある。先述の嫌疑に対する、またそのことに対して人々が詮索し云々したことに対する彼の反論を歌っている。件の嫌疑は、昨年カリの裁判所によって正式に無罪の判決が出た。また、拘留中は、コンピュータも置かれた“ほとんど家”のような施設におり音楽活動にはほとんど影響はなかったという)。
さらに、98年の『Señles de Humo』に含まれた、”No Memuero Mañana”では、ラボー/コローンを引用しつつ、バブルに浮かれるニューヨークとそこに拠点を置くRMMレコードの主宰者ラルフ・メルカードを虚栄の象徴として揶揄しながら歌っている。このアルバムは、ニーチェの歴史の中で、最もペシミスティックなもので、先の見えない国と自分たちの不透明さがそのまま音楽になっているように感じられる。シニックさが興奮に変わり高まったかと思うと、やがて清廉さを増して濾過されてゆき、最後は祈るように終わっている。
●Huellas del Pasado
1. Gotas de Lluvia
2. Balseros, Testimonio de Libertad
3. Lo Bonito y lo Feo
4. Es Mejor No Despertar
5. Se Me Parte el Corazón
6. Verdades Que Saben
7. Solamente Tú
8. Bájame Uno
●Etnia 1996
1. La Canoa Ranchá
2. La Magia de Tus Besos
3. Cobarde
4. No Me Pidas Perdón
5. Etnia
6. Calla
7. Amanecerá y Veremos
8. Dominicana
●A Prueba de Fuego 1997
1. Eres
2. Cimarrón
3. Mecánico
4. Sólo Un Cariño
5. A Prueba de Fuego
6. Estúpido
7. La Cárcel
8. Sólo Tú Sabes
9. Only You Know
10. Busca Por Dentro
●Señales de Humo 1998
1. Batalla de Flores
2. No Muero Mañana
3. Mujer de Novela
4. Me Siento Mal
5. Qué Ironía
6. Rezo a María
7. Busco
8. Señales de Humo
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旧友Inoue Takeshiさんの雑誌Latinaへの投稿を了解をいただきUPしています
(続く)
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