Salsa con Sabor,Sentimiento y Ritmo #32 エラディオ・ヒメネスとの運命的出会いから知ったNUESTRA RECORDSとトニー・コンガについて

ラテンコーナーで知った衝撃
伝説のラテン・コーナーというレコードショップでの衝撃のエラディオ・ヒメネスとの出会いの様子は何度か紹介(死因について追記)しているが今でも鮮明に覚えている。およそサルサには見えないジャケット。逆光を浴びてアフロヘアーが怪しく光る。うつろながら妙に澄んだ瞳。久々に今日、裏ジャケットを見て、ああこれはジャンキーの目だなと改めて知った。

サルサが日本でも認知されつつある頃、NMM誌の輸入盤紹介コーナーでは河村要助さんが毎月1枚サルサを紹介していた。エラディオ・ヒメネスも紹介されていて、ラテンコーナーで出会うのと同時くらいのタイミングだったと思う。その後『サルサ天国』にもこのアルバムは紹介されている。このアルバムの異様な気配にハマり、その後の私の好きなサルサの傾向を一変させた、とても大事で衝撃的宿命的運命的アルバムとなった。

NUESTRA RECORDS
裏ジャケットには曲名とプロデューサーとカメラマンのクレジットのみ。レーベル名は初めて知った「NUESTRA」、ディストリビュートはファニア。他にも同様な雰囲気を求めて、とにかく「NUESTRA」レーベルなら何でも探していた。そうして出会ったティト・バレンティンとティト・ゴメスの『Tierra Musica Y Sentimiento』は、同レーベルではないがジャケットも含め全てが美しいコンフント・クラシコ『Clásicas De Clásico』と合わせて、当時もっともプエルトリコを感じとれるアルバムとしてよく聴いていた。

レーベルとしては1978〜1982年間で11枚、106が内容不明…とまで分かっているが、サントス・コロンは残念ながら未聴。ルイジ・テキシドールのエレガンスな黒っぽさ、エラディオ・ヒメネス同様クレアにいた(Impact Crea 1976 もリリース)フランキー・エルナンデスの危うさ、つんのめるようなラ・ペルラ・デ・ポンセ。いまでも急に想い出して聴き始めてしまう愛着のあるアルバム達。そして、気になっていたのが必ずクレジットされているトニー・コンガの名前と存在だった。

N-101 Pachapo El Super Tumbao / El Super Tumbao 1978
N-102 Conjunto La Perla De Ponce 1978
N-103 Eladio Jimenez 1979
N-104 Luigi Texidor / El Negrito Del Sabor 1979
N-105 Tito Valentin Y El Grupo Aji Bravo ,Canta: Tito Gomez
             / Tierra Musica Y Sentimiento 1979
N-106 Carmen Delia Dipini 1980 <内容不明でしたが教えていただきました>
N-107 Luigi Texidor / El Caballero 1980
N-108 Luigi Texidor / Betun Negro 1981
N-109 Frankie Hernandez / Frankie Hernandez 1981
N-110 Tito Valentin & Tito Gomez / Brujerias 1982
N-111 Santos Colon / Para Recordar 1982
N-112 Luigi Texidor / Sabroso 1982

トニー・コンガ(ルイス・アントニオ・ロドリゲス・モラレス)
トニー・コンガは本名がルイス・アントニオ・ロドリゲス・モラレス。1972年にティコ、アレグレのプロモーターとして仕事を始め、ファニア・オール・スターズ、セリア・クルス、ピート・コンデ・ロドリゲス、エディ・パルミエリ、サントス・コロン、ジョニー・パチェコ、イスマエル・クインタナ、ウィリー・コロン、ルベン・ブラデス、ルイ・ガルシアなどのアーティストやオーケストラのプロモーター、プロデューサーを務めた。

ここからは想像だけど、故郷がポンセ近くのサリナス。どこかのタイミングで活動拠点をプエルトリコに移し「NUESTRA」関連を手掛けたのではないか。「NUESTRA」より前のアルバムが手元に以下のようにあるが、1977年ぐらいからN.Y.との往復をしていたのかもしれないとも思うがあくまでも推測に過ぎない。

最近ではLimi-t 21のプロモーターやプロデューサーを務めていたが、残念ながら昨年2月に腎臓の合併症によりリオ・ピエドラスのアウクシリオ・ムトゥオ病院で74歳で亡くなったことをつい最近知った。長い間気にかけていたことが判明したと同時に、こうして、サルサの歴史のひとつが静かに終わることに切なさを覚えている。