Salsa con Sabor,Sentimiento y Ritmo #30 Johnny Pacheco 1935.3.25-2021.2.15 サルサの父を失った喪失感
ラテンピープル初のレーベルドミニカ出身、アコーディオンとタンボラーを捨ててN.Y.らしいラテンを生み出したジョニー・パチェーコが選んだのはシンプルなソノーラ形式。その後の活躍はサルサファンなら誰でも知っているとおりで、フ...
ラテンピープル初のレーベルドミニカ出身、アコーディオンとタンボラーを捨ててN.Y.らしいラテンを生み出したジョニー・パチェーコが選んだのはシンプルなソノーラ形式。その後の活躍はサルサファンなら誰でも知っているとおりで、フ...
親密な空気感が大好きだった駅前の2Fにあったジョージアには、なにせアパートから大学への通学路だったものだから、行きか帰りには一日おきに通っていたような。芽瑠璃堂の立ち上げ〜店員だった後藤美孝さん(後にPASSレーベルを創...
キラキラとした情報自宅から八丁堀までの定期を(もちろん)自腹で六本木まで延長して通い詰めたのが六本木WAVE。1Fは最新のアルバム、2Fはマニア向けの在庫だったと思う。CD時代になった頃には、結構サルサのCDも充実してい...
吉祥寺編ボニー・レイトの2ndとボビー・チャールズのソロをきっかけにべアズビル・サウンドにぞっこんだった72年頃に頻繁に行っていたのが吉祥寺の芽瑠璃堂。狭い間口を入ると左右にレコード棚、壁にはおすすめのレコードが並べられ...
中目黒から恵比寿へマンションの一部屋、靴を脱いでスリッパに履き替えると上品な永田さんがいつもにこやかな笑顔で迎えてくれた。サルサ専門店というよりも、ラテン音楽全般の品揃えだったと記憶がある。レコードを物色するというよりも...
マイルスとの出会い小学生か中学生の頃、一人でレコード屋に出入りし始めた。おどろおどろしいジャケットに尻込みしていたのが今思い起こせば『Bitches Brew』。これがマイルスとの出会い。次がシングル盤「枯葉」〜死刑台の...
モータウンとの出会いニュー・ミュージック・マガジン(昔はニューが付いていた)の影響もあり、ブラック・ミュージックはブルーズやゴスペルを基本としてよりディープサウスなものが本物だ…とか思い込んでいた。ダニー・ハ...
トロピカル通信インターネットもSNSもない時代、サルサの情報は河村さんの本や雑誌の連載、専門店(ラテンコーナー、ディスコマニア、芽瑠璃堂など)に限られていて、あてずっぽで買ったLPがすべてチャランガだったことも。80年代...
あくまでもロビー・ロバートソンから語られるザ・バンドの出会いと別れ個人的には、ジョン・サイモンがプロデュースした『MUSIC FROM BIG PINK』『THE BAND』に尽きると思う。初めて聴いたときには分からなか...
久しぶりの自宅ベランダにはやさしい日差し、親しみのあるそよ風、バラの香り。大好きなディエゴ・トレスの歌。 心で将来を手探りできるかな?