プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか ー テッド・テンプルマンの音楽人生

バーバンクサウンドからの発展形
テッド・テンプルマンを意識したのは、ハーパス・ビザールのメンバーとして。ハーパスに至るまでの経緯が実に興味深く、レニー・ワロンカーとの出会いもスリリング。バンド解散後はワーナーのプロデューサーとして、ヴァン・モリソン、リトル・フィートを手掛け、もっとも有名なところではドゥービー・ブラザーズ。場末で燻っていた彼らを見事に仕上げた力量は今でも通用する輝きを持っている。ドライブするドラム、歯切れのいいリズムギター、瑞々しいコーラス。生きたままの音を録る手腕は、後のヴァン・ヘイレンにも生かされていると思う。フィル・スペクターのように独自の世界観を持っているよりも、テッド・テンプルマンはパフォーマンスを引き出すのに長けていたタイプ。

業界寄りの話よりも、いかにスタジオでマジックが生まれたかの話が多ければ、もっと楽しめたかと思う。